今日は少し話がそれます。
NPO法人を作って、やっていきたいことを語ります。
簡単に言いますと、障がいを持った方々とアート活動を行って、その豊かな世界に触れていくことです!
昔、福島の精神病院に実習に行ったときに、60歳過ぎのパーキンソン病と統合失調症を合併されていた方のクレヨンで描かれた色彩豊かで、綺麗な絵に見惚れた経験があります。
言葉で説明できないのですが、ただ、「スゲェ…」と思いました。
アートは、作業療法とも近い部分ではあります。
それは一回性の知、体験の知で、結果や表現は『環境と人と作業の間で作用』し合い、にその時々で、ダイナミックに変化するという部分です。
また、これからは心の時代、生命を大切にする時代、感性の時代になると思うので、本当の意味でのアートの価値はより高まるのではないでしょうか。
まだ、妄想ではありますが、アートで「感じる」「つながる」取組みが出来たら幸いです。
ところで、今メンバーさんとのやり取りの中で、とても良い問題提起だと感じた部分がありましたのでご紹介します。
件名;ちょっと疑問
「障害者で一から理論を勉強している人と全く芸術を勉強をしていない人とが、
同じレベルに障害者アートとして、並べられていいのか、疑問に思ってしまいました。
例えば、自分という障害者が音楽理論を勉強しているうちに、
全く勉強していない人が、適当に音符を並べて、自動作曲とかを使って作った他の障害者の曲が、
障害者だからということで評価されたら、凄く嫉妬します。
自分はちょっと納得いかないです。」
ただ単に、障害者が作ったというだけでもてはやされるのはどうなのかな?という当事者からの疑問でした。
藤原は、才能には、2通りあると思います。もちろんその間には色々な連続性・関係性もあると思います。
①むき出しの感性:これは先天的・後天的にあると思いますが、理論とは違う感覚の才能。精神障害の症状や病気の苦労から出現する場合や、サバン症候群のように脳機能の障害が部分的に特化され花開くような場合に多く見られる。
②理論:経験や研究による積み重ねによるもの
③ ①と②の融合
変な解釈でしたらすみません。。
①も②も純粋な形で存在することは少ないのではないでしょうか。
でも、結局これは、受け取り手の好き好きだと思います。
①が好きな人も居れば、②が好きな人も居る。
自分も障害者の方で、確かに凄いと思う人は居ます。けど、実際にあまり感じない人も居るのは事実です。
でも、他の人は凄いと感じるかもしれないです。
健常者と同じで、この人は才能を感じる、この人の作品からは感じ無い、というのはあると思います。
ただ、どちらの表現にしても感じるものなので、受けとる側は主観による好き嫌いが大きいですよね。
結局はアート活動を行う人が何を主眼において行うのかの方が大事な気がします。
表現(自分という存在、感情、文化など)したいのか、趣味的なものか、認められたいから行うのか、時間つぶしか、意味合いが全く変わってきます。
「精神障害が文化の発展・進化に重要な役割をもっていた」ということが書いてある本もあります。『天才と分裂病の進化論』という本ですので興味がある方はどうぞ。
まとまりもなく、無教養をダラダラとすみません…。。
●アート関係で参考までに
表現として、価値ある商品として、企業の社会貢献、など多様な取組みがされているようです。
心の杖として鏡として
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/tue/50621.html
エイブル・アート・ジャパン
http://www.ableart.org/
エイブル・アート・カンパニー
http://www.ableartcom.jp/top.php
アートビリティ
http://www.artbility.com/
アート村
http://www.art-mura.com/index.htm/
ステップ・アート・ライブラリー
http://www.sal-jp.net/index.html
パラリン・アート
http://www.self-support.co.jp/p_art.html
ビッグ・アイ・アート
http://big-i.jp/art/
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